奥多摩駅往復141キロ

昨日の天気予報では、今日は雨だったのだが、よく晴れた。今朝の予報では1日晴れらしいのでサイクリングだ。昨日は会社に行っていたので寝坊するのかと思ったが、そんなことはないのだった。

まずはヨガをやって、体を温めてからパンを3枚ゴマペーストを塗って食べ、出発。何度も書くが、ゴマペーストを塗った食パンはとても腹持ちがよい。先週は、半袖のシャツで出かけたが、今日は薄手のトレーナーを着た。ちょっと暑かったようだ。しかし、予報では、寒冷前線が通過するとかしないとかいっていたので、やや厚着の方がよいだろうという判断である。

二子玉川のあたりは、グラウンドに水たまりができていた。夜、結構降っていたのだ。今日は、10時前の出発なので休憩時間を調整する。また暗闇走行はいやなのだ。今は17時でほぼ暗くなる。なんとかそれまでには帰って来たい。

先週は帰り道で膝痛に悩まされたので、今週もセーブしたペースで走る。よく晴れていたが、残念ながら遠くの山はよく見えない。もちろん富士山も見えない。しかし、今日は風が結構あった。最初向かい風で参ったが、途中から追い風になった。スピードは上がるが、程ほどにしておいた。膝痛をおそれているのだ。

多摩川では、ウインドサーフィンをやっている場所があるのだが、通り過ぎるときにちらりと見たら、今日はなかなかのスピードがでていたようだ。

一昨日、目黒駅ビルにある本屋、有隣堂で「植草甚一コラージュ日記1 東京1976」(平凡社)という本を買った。これは晶文社からでていた植草甚一スクラップブックシリーズに挟み込まれていた小冊子、植草甚一日記を集めたものだ。

私もスクラップブックは30冊近くもっていたのだが、この小冊子もとても楽しみだったのだ。独特のペン字で書かれていて、こんな字を書けるようになりたいなあと、万年筆で真似をして書いたものだった。

9月23日の日記にも書いたが、ここ数年、パソコン依存度が上がるにつれ、字が書けなくなるという事態がしばしば起こるようになった。それで、これはいかんと樋口健夫さんのマラソンシステムに沿ってノートに文字を書くようになったのだが、その時にずっと思い浮かべていたのが、植草甚一さんの「字」なのだ。

私にとっては、ペン字=植草甚一なのである。だから、この本を発見したときは、即座に買い、であったが、しみじみと同じことを考える人もいるものだなとも思ったのである。この編者も、植草さんの書く文字が好きだったのだろう。

ちなみにマラソンシステムの樋口健夫さんにはwebがあった。IMS公式ウエブサイトである。これがアイディアマラソンシステムの本家本元サイトである。  追い風のおかげもあって、順調なペースで羽村を過ぎ、奥多摩に向かう。いつもの吉野街道だ。山道に入ると、場所によってはとても冷えているところがあった。

日が当たっているアスファルトの道からは、ほんわか放熱されているので暖かいのだが、山の空気は実はとても冷えているのだろう。11月も中旬である。当たり前だ。

行きは、3時間半で奥多摩駅に到着。ここまでは予定通りだ。いつものように奥多摩駅を撮り、ちょっとだけ休憩。今日こそは明るいうちに自宅に到着したいので、すぐに走り始めた。

途中、羽村手前のセブンイレブンでパンと野菜ジュースを腹に入れて、阿蘇神社へ。今日も七五三の親子連れが来ていた。ここらで15時である。羽村からのサイクリングロードは、いつもなら向かい風になるのだが、朝吹いていた風も止み、暖かくなっていた。これは助かる。しかし、また、膝がじわじわ痛み始めた。

あとはだましだましペダリングするだけである。日も短くなっているので、だんだん暗くなってきた。国立あたりで、富士山が見え始めているのに気がついた。夕日の位置からすると、どうやら日が沈むのは富士山のあたりになるようだ。ひょっとするときれいな画が撮れるかもしれない。

聖蹟桜ヶ丘付近まで来ると、夕日が沈み始めた。日が弱くなっているので、富士山がくっきり見える。カメラを構えている人や富士山をじっと見つめている人が多くなってきた。私も、後ろを振り返りながら、よさそうな場所で何枚か撮った。

そんなことをやっていたからというわけではないが、今日も狛江で真っ暗になってしまった。しかし、それほど寒くはなかった。寒冷前線が通過するとかしないとか天気予報ではいっていたが、まだなのだろう。

混雑する二子玉川を抜けて、自宅に戻ったのは18時前だった。

本日の走行距離141.72キロtotal 7633.9キロ
本日の体重:66.2㎏
本日の体脂肪:18%

多摩川サイクリングロードへ

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