午前中に30キロ大震災から10年

6時過ぎに起床。昨夜うちの妻が震災関連の番組を深夜まで見ていたので、音が聞こえて来てあまりよくない夢をみていた。

今朝はよく晴れている。

今日で大震災から10年経った。震災の日は、立川にいたのだが今と違って寒かったことを思い出す。会社が新しい事業として前年の12月にお店を出し、責任者として3ヵ月経ったところだった。確か夕方前には雪が舞ったような気がする。

店にはテレビはなく、ラジオはビルの中なので全く入らない。radikoは始まっていたが、このとき初めて聞いたのかもしれない。この頃のネットは、詐欺まがいのごみサイトが検索上位に出てくるひどい状態で、ニュース以外あまり見ていなかった。まだガラケーが一般的で、私は安いウイルコムを使っていた。震災の夜はドコモよりウイルコムの方がつながった。

長くて振幅の大きな横揺れで、ただごとではすまないと思ったが、何が起きたのかわかったのは夕方だった。近くのコンビニにおにぎりを30個ぐらい買いに行って、隣のガソリンスタンドにテレビがあるはずだと寄ってみたら、ちょうど漁船が打ち上げられている映像が流れていた。

九段下にいる同僚は、帰宅するために大変な思いをしたのだが、郊外の立川はコンビニから食べ物が消えることもなく、居酒屋など飲食店も普通に営業していた。

ただ、JRは止まっていたので、昭和記念公園に誘導されていたお客さんがみんな店に戻って来て30人近くでお店に泊まった。店の斜め前にモスバーガーがあり、みんなそこに買いに行ってキャーキャーいいながら、遠足とかキャンプみたいな雰囲気になった。ほとんど、おばさんだったが、女性は強いなと思ったものだ。

電車が動いたのは翌日の昼前だったと思う。

NHKBSで放送されていた震災の番組を見ると、あの時のどうしようもない気分を思い出す。東日本大震災は、東北から関東に住む人々に恐怖や絶望感を与えたが、まだ、そこから離れた人にとっては他人事だったような気がする。しかし、それから数年の間に北から南まで本当にいろんな災害に見舞われ、どこで起きても心が痛むようになった。

私が子供から青年になった1970~1980年代は多少いろいろあっても平和な時代だったんだなと改めて思う。

このところいろいろ予約していた本が届いたので、今、2016年の週刊文春と人生生涯小僧のこころを同時に読んでいる。週刊誌の編集者の生活と大峯千日回峰行というどちらも過酷な内容の話だ。

週刊文春の本はなかなか面白い。今や文春砲と恐れられているが、この本を読むと、確実に事実であると社内で認められなければ記事にしないのだそうだ。訴えられるからだ。確かに今は週刊誌を買わなくなったが、もし買うとしたら文春を買っているよなあと思いながら読んでいる。

営業の仕事は毎月末が勝負だが、週刊誌は毎週締め切りがあるから過酷だ。ストレスを抱えて若くして倒れる編集者も出てくる。

文藝春秋を志望する学生は、優秀な書斎派と書かれていたがそうだろうなと思う。しかし、週刊文春に配属されると彼らはスクープを追うようになる。優秀だからできるのだ。体育会系の学生は昔から出版社にあまり行かない。

この本を読んでいて痛感したのは、ウソは絶対にだめだということ。昔はもっと世の中がゆるくていい加減な時代があったように思うが、徹底している。でも、ネットもそうなっているなあと思う。ウソを読まされたサイトには二度と寄りつかない。

一方、大峯千日回峰行は標高差1400mある山道を往復48キロ毎日歩く。夜中の12時にスタートして夕方5時くらいに戻ってくる。その間、幽霊や魔物やマムシにマダニにクマも出て来て、血尿が出るようになり、肉体的に死ぬかもしれない過酷な生活が続く。

この本は、致知出版社の本だが編集者が優秀な方なんだろうと思う。塩沼亮潤さんの本を何冊も読んできたが一番まとまっていると思う。塩沼さんがどんな方なのかが一番わかる。

ただ、人には怖い物見たさの感情がある。

そこにグッと踏み込んでいるのは、前にもリンクを貼ったが、昔の週刊プレイボーイの編集者、島地勝彦さんのインタビュー記事だ。人が毎日標高差1400メートル往復48キロの道を歩くことを続けると、どんな経験をするのか?興味あるよね。

2016年の週刊文春を読みながらこちらの本も読んでいるので、週刊誌のスタンスがなんかわかるなあ。

大阿闍梨が明かす、千日回峰行の苦しみ「爪はボロボロ、血尿は出る。ところがある日、不思議な感覚が芽生えてくるのです」(島地 勝彦) @gendai_biz
今月のゲストには、現存する僧侶になかで吉野の大峯千日回峰行をやり遂げた唯一の大阿闍梨、塩沼亮潤さんをお迎えした。つまり、清と濁の顔合わせである――。

昨年からコロナ騒動が始まり、人とのつながりが薄くなってどうなるのかなと思ったら、自分の興味に対してかなり忠実になったように思う。「つきあい」とか「メンツ」はかなりどうでもよくなっている。気持ちの変化はかなり大きい。

大人になると人とのつながりはお金がからんでいることが多い。これは当たり前なんだけど、20代の学生の頃までは違う原理でつき合っていた。そちらを(できるだけ)増やしたいと思うようになった。そう思うと結構楽しみだ。

今日は10時半くらいから、駒沢公園へ。気温が上がるといっていたが、それほどでもない。空気が少し冷たい。よく晴れているけれど。

平日なので人は少ない。梅はほとんど花を落とし、沈丁花があちこちで香っている。

桜はどうかなと思ったら、一番つぼみがふくらんでいるところでこんな感じだ。先週末咲いていた目黒不動尊の桜は早咲きなのだろうか?でも、早咲きはその隣だったはず。

駒沢公園は周辺と比べて気温が低いのでいつも少し生育が遅れる。

暖かい日が2、3日あるときっとふくらんで咲き始めるだろうと思う。東京の開花日は17日頃と昨日ニュースでいっていた。

今日、気がついたのは、バスケットコートのリングが外されていたこと。昨年の緊急事態宣言でもこんなことはなかった。それでバスケットに興じる若者がいなかったのかと知った。

駒沢公園は都立公園だから仕方ないね。

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