蒸し暑い!30キロ

5時起床。おや、朝から蒸し暑い。お盆過ぎから秋が来たかのような涼しさだった。このところ気温が低いのが当たり前、日中、19℃なんて日もあった。

10時から目黒不動尊へ。蒸し暑いので参拝客は少なかった。一番奥の鳥居で、大祓祝詞を詠んでいると、セミがジャージの袖に止まった。お経とか祝詞は聞きようによってはセミの声みたいに聞こえる。何だか、知らない猫に懐かれたような妙に嬉しい気持ちになった。

エアコンを交換するため、10日間エアコンなしの生活をしていたのだが、その間、あんまり暑いのでベランダで寝ていた。そうすると空をよく見るようになる。

夜明け前の空が好きなんだけど、明るくなる時間がだんだん遅くなって来ている。少し前は、日が昇り始めると暑くてたまらなかったが、だんだん秋になってきているのを感じる。

コロナに関しては、予想通り、オリンピック後に感染者、というか陽性者が増えている。大変な事態だとテレビで毎日騒いでいるが、電車に乗るといつもの日常がある。ただ、実際の深刻さが本当によくわからない。

事態の深刻さがわからないで思い出すのは、10年前の原発事故だ。あの時も同じだった。今の政権は否定されつつあるように感じるが、だからといって、10年前の政権与党が現状にうまく対応できるとは全く思えない。若い人に期待したい。

私は高度成長期が少年期に重なり、テレビが本当に面白かった時代を経験しているが、このコロナ時代を経験しながら、テレビはあまり見なくてもいいなと思うようになった。私が子供の頃から「テレビばっかり見ているとバカになる」といわれたものだが、その頃のテレビはとても面白かったのだ。しかし、今は面白くない。

今どきの若者はテレビを持っていない人が多いらしいが、私も今見ているテレビが壊れたら、新しいのを買わなくていいなと思うようになった。新聞を全く読まなくなってから15年以上経つ。

昨日、久しぶりに神保町に行って、必ず寄る書泉グランデに行ったら、置いてある本が明らかに減っていた。出版不況は以前からいわれているが、マニアックな書店にも影響して来ているようだ。

時代が変わるのだろうな。

このところやっていた断捨離で、1980年代に買って大切にしていた本はほとんど処分した。もう、あの頃と価値観がつながっていないように思える。ただ、歴史は大切だなと思うようになった。

高校生の頃、歴史は暗記科目でしかなかった。山川の日本史や世界史の教科書の厚さに辟易して、私などは即座に倫社と政経に受験科目を変えたのだが、歴史は暗記するものではなく考える科目だ。今の時代だとわかる。

以前、大豆の自給率がなぜ低いのか?という記事を書いたことがある。日本人にとって大豆はかなり重要な穀物なのだが、自給率がすごく低い。確か、そのことは小学校でも習ったし、共通一次の地理Bだったかの問題にもなっていた。ただ、なぜなのかわからない。調べて行くとちゃんと理由がある。そしてそれが結構人間臭いので面白い。「鳴くよウグイス平安京」なんて暗記しても全く意味がない。

夕方、気温が下がったので駒沢公園へ。蒸し暑い。セミが木の下の方に止まっているのが見える。駒沢通り沿いのギンナンも色が変わり始めている。暑いけれど、秋になりつつある。

気温が下がったといっても、まだ30℃くらいあり、湿度が高いのでジワッと汗をかく。セミがうるさい。みんなシャツの背中にびっしょりと汗をかいて走っている。

とはいうものの、見上げるとこのように雲は秋になっている。

総走行距離84854キロ

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